喜多村50周年記念誌

2022年、株式会社喜多村は
50周年を迎えました。

喜多村50周年記念誌
喜多村50周年記念誌
Quest for Evolution

進化しつづける人であれ

Quest for Evolution

独自のフッ素樹脂潤滑用添加剤と受託粉砕技術で今日まで発展を続けてきた喜多村。
会社設立から今日まで、乗り越えてきた数々の困難を振り返ることで、
これからも私たちは現状に甘んじることなく挑戦し、進化しつづける。

GREETING プロローグ ~ 創業者 北村勝政のことばGREETING 

株式会社喜多村を設立(1972年5月1日)して、はや34年が経過しました。
当時はフッ素樹脂の粉砕を始めて未だ間もない頃でした。

白いフッ素樹脂を見た当初は、何か強く引かれるものを感じました。
その物性から推して、これの微粉砕品ができれば、何か道が開かれるような気がしました。
そこで、昼夜を問わず思考を巡らし、実験を試み、
何とかフッ素樹脂の微粉砕に成功することができました。
その目鼻がついたところで、古川工場をつくり、粉砕部門を移転させました。

しかし、収益に寄与するようになるには相当の年月がかかりました。
一方で、困難と思われたフッ素樹脂の粉砕ができたのだから、
他の物品の粉砕も可能だろうということから受託粉砕の枠を拡げ始めました。
(中略)

フッ素樹脂と受託粉砕の2つの事業は我が社の2本柱として
お互いに補いあって発展してきました。
その間、必ずしも順風満帆であったとは言い難いところですが、
今は収益も安定した状態となっています。

これは何はともあれ、従業員の皆さんおよび顧客など
利害関係者の方々のお陰と深く感謝いたしております。

(中略)三十数年の経験を生かしながら、現状に甘んじることなく、
目標を達成することに果敢に挑戦される気風を育ててください。

何といっても、皆さんの健康が第一です。
安全衛生に注力されて業務に励まれることを望みます。

「社内情報誌」第49号、2006年5月
「会長のことば」より

KITAMURA HISTORY 喜多村の歴史KITAMURA HISTORY  

前史

フッ素樹脂スクラップとの出会い

創業者、北村勝政の生い立ち

創業者である北村勝政は1933(和8)年9月15日、岐阜県吉城郡古川町(現・飛騨市)で、父・北村博諦、母・志げの長男として誕生した。両親は古川町でソバや小麦などを粉にする仕事を生業としていた。勝政が後に飼料加工や粉砕加工を事業化したのも、ここにルーツがあった。
 飛騨の山間部に位置する古川町は山林が多く、稲作や畑作のほか、肉牛肥育などが主な産業であった。五人兄弟の長男として幼少期を古川町で過ごした勝政は成人の後、親戚に運転資金を借り、1952(昭和27)年頃から古川町や近隣の高山市など飛騨地方で家畜用の飼料(アワやヒエ)を販売する仕事を始めた。リヤカーや自転車に飼料を積み、村々の農家などを回り、商売を行う日々であった。
 そして1960(昭和35)年、27歳のとき一念発起し飛騨から尾張に活動場所を移すことを決意、後に妻となる野中房枝と名古屋で同居。愛知県でも古川町と同様に、菓子くずなどを回収し家畜用飼料の加工販売を始めたのである。1965(昭和40)年に房枝と結婚した後は、愛知県愛知郡東郷町大字春木字白土(現在の本社の所在地)に転居。同地に住居と工場を確保するとともに、個人商店「北村商店」として飼料加工販売の事業を拡大すべく、仕事に打ち込んだ。この時期は、懇意となった仕入先(岡崎市・太田油脂など)からトウモロコシ(コーン)の皮・エキス、菓子くず、納豆などを調達して家畜用飼料に加工し、それを顧客(常滑市・早川商店など)に販売した。

フッ素樹脂の再資源化

 家畜用飼料の加工販売に精力を注ぐ一方、勝政はフッ素樹脂の再利用にも着目した。
 当時、フッ素樹脂は高価な合成樹脂であったが、加工の過程で生じるフッ素樹脂スクラップは再資源化が難しかった。そのためリサイクルされる事はなく、ほぼ全量廃棄されるのが実情であった。
 勝政はある時、フッ素樹脂スクラップが荷物の緩衝材に使われているのを見て、その再資源化に挑戦することを思いついた。フッ素樹脂スクラップを再利用する技術を開発できれば、「画期的なことであり、大きなビジネスになる」と考えた。調べてみるとすでにアメリカではフッ素樹脂スクラップを廃棄せず、リサイクルする技術が一部で採り入れられていると知り、彼の好奇心はさらに高鳴った。
 そんな時期、北村商店に災難が襲い掛かる。1968(昭和43)年3月、前年に新築したばかりの飼料工場が全焼する事態に見舞われた。調達した家畜用飼料の原料を加工する工程では乾燥作業が必要だが、稼働中の乾燥機の発火が原因と思われる火災が発生した。
 勝政はそんな逆境にも落ち込むことなく工場を再建。同年5月、フッ素樹脂粉体加工の技術開発の検討を開始した。
 国内の化学系企業に相談するなどして、フッ素樹脂スクラップを再利用する可能性を探った。そうした模索を続ける中で、相談者の1人でもあり化学分野に知識がある中村甫(1972〈昭和47〉年入社、後に取締役などを歴任)を採用するなどして人材の確保を図るとともに、フッ素樹脂粉体加工に必要な設備の導入にも力を注いでいった。

東郷町白土の工場を取得
建具の工場跡地を購入。当時は1万円×400坪と古川町の土地よりも安く入手することができた
火災により全焼した工場(1968年3月)
全焼した建屋の中央には焼け残ったプラントが。左奥には黒焦げになった飼料の山が見える
勝政と妻の房枝
勝政はお金儲けよりも仕事が好きで人望も厚く、房枝は工場で社員のために食事をつくり夫を支えた
建設中の工場(1968年5月)急ピッチで再建を進め2カ月後には工場再開へ
1972

苦難を乗り越え、喜多村誕生

本社工場飼料製造ライン
古川工場創業時のメンバー
後列右から2人目が勝政、7人目が初代工場長三井且博
古川工場を開設(1972年頃)
近くに殿川が流れる、標高650mの自然豊かな山間部に設置

株式会社喜多村の設立


 1968(昭和43)年からフッ素樹脂スクラップの再生に取り組んできた開発陣は、本社の一角で試験を重ね、技術を確立させていった。技術の確立にめどが立ったことから1972(昭和47)年5月、勝政は「株式会社喜多村」を設立した。
 新しい社名は創業者の名字(北村)に由来するが、「喜びの多い村」を目指すとの願いを込めた。資本金200万円、社長には勝政が就任した。
 フッ素樹脂スクラップの再生工程では、集めたフッ素樹脂スクラップの塊を選別することにより再資源化する。技術面でポイントとなるのは「洗浄(クリーニング)」方法であった。喜多村ではクリーニング設備を導入。静電気を除去して洗浄する技術を1年がかりの試行錯誤の末に開発し、フッ素樹脂スクラップの再生に成功した。
 設立時の喜多村では、当時の主力事業である飼料加工に加え、フッ素樹脂スクラップの再生、受託粉砕も事業の柱にすることを想定していた。このため本社だけでなく、フッ素樹脂スクラップ再生、受託粉砕を担う新たな工場が必要となり、工場の用地探しを同時に開始した。

古川工場の開設

 工場用地の選定にあたっては、いくつかの条件があった。粉砕する際に設備や工場内が高温になるため、なるべく冷涼な地であることも工場用地の条件とした。これらに基づき、豊橋市や古川町などで探した結果、勝政の出身地である古川町の農業協同組合参事であった倉坪政市氏による多大な協力もあり、同地に用地を確保できた。場所は岐阜県吉城郡古川町(現・飛騨市)の山間部にある畦畑地区である。
 工場用地は田んぼであったため、地盤整備には苦労したが、1972年8月に古川工場を完成させた。建物はフッ素樹脂加工場、受託粉砕製造室のほか事務所、宿舎などである。初代工場長には三井且博が就任した。当初は社員8名、パート3名の人員で稼働した。
 喜多村はフッ素樹脂スクラップを再生させた4フッ化エチレン樹脂(PTFE)微粉末の商品名を「KT」と名付け、製造・販売を開始した。発売当時は、ほとんどが化学メーカーなどで再成形用のフッ素樹脂素材として使用された。
 当時、純粋なフッ素樹脂は「1㎏あたり5,000円程度はする」高価な原料であった。フッ素樹脂スクラップを再資源化した「KT」は安価で、かつ純粋品に近い品質を持ち、海外を含めて多くの需要が見込まれると期待された。
 ちなみに設立の初年度の業績(第1期決算)は次のとおりである。
 売上高3億6700万円、経常利益2500万円、当期利益300万円、借入金2億200万円。本社と古川工場を合わせ46名の陣容であった。この時期の売上高の内訳は飼料加工が8割、樹脂加工(フッ素樹脂粉体加工・受託粉砕を含む)が2割となっていた。

あらゆる粉砕の要望に応える

受託粉砕事業を確立

 喜多村は個人商店時代の1968(昭和43)年頃にはすでに受託粉砕に関わる業務を引き受けていた。粉砕事業を始めたきっかけは、「こんな難しいものを粉砕できるなら、他のものもできないか?」とのお客様の声である。もともと勝政の実家が蕎麦屋のそば粉を挽いていたことや飼料を細かくしていた経験があり、フッ素樹脂粉体加工の技術がお客様に認められたことを意味した。いざ粉砕事業を始めると、商社からいろんな仕事が入るようになった。粉砕するモノや要望に応えるため、その都度機械を購入、いっとき、工場にはたくさんの種類の機械が設置されていた。
 1972(昭和47)年9月、粉砕設備を本社から開設したばかりの古川工場に移設して、この業務を増強した。喜多村では受注増に向けて、受託粉砕分野の紹介パンフレット(DM)を作成し、営業担当者が国内にある化学会社、食品会社、研究機関などに郵送した。多い時は一日200通ほどを送ったという。
 こうした地道な営業活動を続けた結果、受託粉砕を必要とする企業が数多くあることが分かり、受託につながっていった。受託は食品会社や化学系メーカー、ゴムメーカーなど、多岐にわたった。例えば、食品会社の依頼でガムに練りこむ砂糖原料の粉砕では、砂糖粒子の大小によって触感が変化するため、さまざまに条件を変えてテスト粉砕を繰り返した。また、化学系メーカーの場合は、プラスチックに練りこむための酸化防止剤や紫外線防止剤を細かな粉体にする依頼などもあった。
 1977(昭和52)年になると、東証一部上場企業の食品メーカーから受託粉砕を受注した。受託粉砕は取引先にとっては商品開発に深く関わることであり、喜多村では最適な粉砕を求めて共に研究し、対応した。こうした社員の努力により、粉砕事業における技術力が向上し取引先との信頼関係が高まるとともに、同じ企業から継続して受託する例も増加した。
 受託粉砕事業は1980年代以降も順調に成長していった。受託粉砕ではガラス、プラスチック、化学薬品、食品などさまざまな素材を粉砕してきたが、この時期には特に食品関連の材料を扱う事例が増加した。このため、古川工場では1987(昭和62)年1月に食品添加物製造業許可を取得し、この分野での実績を伸ばしていった。
 古川工場は発足当時9棟の建物に事務所や工作室、食堂が備わっていたが、たちまち手狭になった。1994 (平成6)年12月に第1倉庫を建設したことを皮切りに、第4棟(2001年5月)、エコセンター(2003年4月)、品証棟(2004年12月)、危険物棟2005年10月)、第2倉庫(2006年8月)を増設、2011(平成23)年11月には信包倉庫を増設、事業環境を整備していった。

受託粉砕分野を紹介した歴代パンフレット
倉庫や設備を増設し、敷地いっぱいに建物が建ち並ぶ古川工場
1976

地域とともにこれからも

地域貢献活動の一環として
「童心会」を開催

 飼料の原料を乾燥させる加工作業では臭気が発生するが、工場周辺に住宅が増えるとともに住民からの苦情が寄せられるようになった。
 悪臭や騒音といった苦情に対処するとともに、1976(昭和51)年には地域住民に事業への理解を深め、地域社会との共存を図る取り組みとして、「童心会」と呼ばれる会を始めた。初回の行事は、近隣住民8世帯ほどに個別に声を掛け「童心会クリスマスパーティー」として、同年12月19日に開催した。その後も童心会の行事は毎年定期的に開かれ、徐々に参加世帯も多くなっていった。数年後には、開催時期を10月の地元神社祭礼の前夜祭に合わせ、地域の年中行事のような形で発展していった。
 その後、童心会の取り組みは喜多村から独立し、現在では地元住民の組織として運営されている。秋祭り時期の行事のほか、近隣住民が参加して年1回の慰安旅行へ行くなど、地域の組織としてすでに定着している。
 童心会の神社祭礼の前夜祭は現在まで約45年にわたって続けられている。本社の駐車場を会場として開放し、焼きそば、おでん、綿菓子などの屋台が出るほか、子ども向けにビンゴ大会や輪投げなどの遊びコーナーも設けられている。前日から近所の住民に喜多村の社員も加わって行事の準備を行い、前夜祭の当日は近隣から200名ほどが参加する。
 なお、飼料加工は2003(平成15)年に撤退したため工場から出る臭気公害は解消されたが、今後も地域貢献活動の一環として積極的に地域の方々と交流を深めていく。

秋祭り前夜祭
毎年10月上旬に行われる地域の秋祭りの前夜祭を本社駐車場にて開催

新たな商品を開発し、世界へ

KT/KTLシリーズの用途例
あらゆる材料のトライボロジーの可能性を広げるKT/KTLシリーズ
フッ素樹脂の切削スクラップ
工場でフッ素樹脂を加工するときに出る切削スクラップを、全国各地から集め再利用

フッ素樹脂の輸出と
KTLシリーズの開発・販売

 フッ素樹脂潤滑用添加剤部門では品質の向上に努め、量産化と品質維持が確保できた段階で海外に販路を求めた。アメリカのある化学メーカーとは事前に何度も手紙で折衝し、加工したフッ素樹脂の商品サンプルを送付するところまでこぎつけた。そうして先方が検査を実施した結果、品質面で「OK」の回答を得たことから取引を開始することになった。1976(昭和51)年に輸出を開始。海外との取引は、品質レベルの向上につながった。
 1970(昭和45)年前半頃まで、フッ素樹脂の用途は再成形用の樹脂素材としての使用が中心であった。その後、4フッ化エチレン樹脂(PTFE)特有の優れた摺動性、非粘着性、耐熱性、撥水・撥油性などの特性が注目され、潤滑用添加材として幅広く活用されるようになった。
 設立当初から製造してきたKTシリーズに続いて1978(昭和53)年にはKTLシリーズを開発し製造・販売を開始した。
 KTシリーズは完全焼成された高分子量のPTFE粉末で高耐熱性が特長であり、スーパーエンジニアリングプラスチック、熱硬化樹脂、セラミックス、金属などの潤滑性向上に適していた。
 一方、新たに開発したKTLシリーズは、KTシリーズよりも耐熱温度は低いものの、粉末の粒子径が細かくハンドリング性の良い点が特長であった。エンジニアリングプラスチック、耐熱塗料、耐熱グリスなどに添加すると機能を向上させる性質をもち、産業界の幅広いニーズに応えられる商品であった。その後も喜多村では需要家のニーズに対応し、特性を改良したさまざまな品種を開発していった。

KT/KTLシリーズ走査電子顕微鏡写真
KT-300M
KTL-610
KTL-8N
KTL-500F
1980

飼料加工事業に新たな展開

飼料用サプリメントの製造・販売

 1970年代半ば、売上が伸び悩んでいた飼料加工事業では、付加価値の高い新たな商品開発を模索した。
 新商品として着目したのが家畜用の納豆菌サプリメントである。試験を繰り返した末、1978(昭和53)年には納豆菌の固形培養方法を自社で確立させた。そして1980(昭和55)年5月、活性納豆粉末を乾燥・パックにした家畜用の混合飼料「納豆粉末-710」の製造・販売を開始した。
 納豆は人間にとって馴染みの深い発酵食品だが、家畜用飼料としても多くの効能が期待された。飼料サプリメントとしての効能は、「腸内細胞のバランスを整える」「消化・吸収を助ける」「農場の環境浄化に役立つ」などが挙げられる。環境浄化への効能とは、家畜の有機物分解能力が高まり畜産廃棄物の臭気が減ることである。また、家畜が摂取する際の特長としては、「培養生成物のみを使用していて、増量剤・賦形剤などを未使用」「飼料として安定した品質である」「飼料のうま味が増す」「安全性の高さ」などが挙げられた。
 一方、古川第2工場の取得と同じ1985(昭和60)年、飼料事業の主力商品であった「コーンエキスフード」の製造廃止を決定し、同年4月に製造を終了した。飼料部門の採算悪化と公害問題に対応しきれなくなったことが廃止に至った理由である。これに伴い、本社の主力事業は、飼料加工から受託粉砕に移行した。
 納豆粉末サプリメントは当初、販路の拡大に苦労したが、営業活動を続けるうちに、畜産業界から一定の需要があることが明確になった。その後は23年間にわたって製造・出荷を続けるロングセラー商品となり、喜多村にとっては飼料分野を支える存在となった。しかし、納豆を炊く際に出る臭いが長年にわたり周辺住民へ迷惑をかけていたこと、取引していた卸業者が規模を縮小したこと、同様のサプリメントが市場に出回ってきたこと、受託粉砕やフッ素樹脂事業に注力し飼料への力配分が少なくなり利幅も小さくなったこと等により、飼料事業を撤退することとした。2003(平成15)年12月をもって製造・販売を終了。製造部門を都築工業へ、販売部門は北村商店時代に資金調達で困っていた時に大変お世話になった早川商店へ、それぞれ譲渡した。

納豆粉末の製品検査
製造・検査から出荷まで品質検査を実施。
2000年2月、飼料製造部門においてもISO9002を取得
飼料の乾燥
夏は40度以上になり臭いも発生するなど、過酷な環境だった(1978年頃)
1985

フッ素樹脂スクラップの
未来を見据えて

選別後のフッ素樹脂スクラップを保管する倉庫
受託の原料を保管(1980年代)

フッ素樹脂スクラップの
収集と保管倉庫の拡充

1980年代になるとフッ素樹脂の需要は停滞したが、喜多村では全国各地からフッ素樹脂スクラップの調達は継続していた。フッ素樹脂スクラップは昔の製造プロセスでは多く出たが、今は企業努力により発生量は減少している。今後、日本では手に入らなくなることも考慮し、全国から集められるだけ集めている。
 回収したフッ素樹脂スクラップは、ゴミや不純物を取り除く選別作業(一次加工)が必要である。そのため、1985(昭和60)年11月に、古川町新栄町にあった元鉄工所の建物の一部を買い取り、改修し、古川第2工場として有効活用することとした。12月には同工場内に原料課を設置。フッ素樹脂スクラップの選別作業場および保管倉庫の一つとした。
 以前は中国など海外からもフッ素樹脂スクラップを輸入していたが、タバコの吸い殻などゴミの混入も多々あり品質に問題があったため、今では海外からの調達は中止している。
 現在、フッ素樹脂スクラップのストックは販売数量の数年分を確保しているが、より多く集めるため倉庫を拡充させてきた。1980年代には古川町内の各所に場所を設けて保管。2018(平成30)年頃に導入したプレス機により嵩高いフッ素樹脂スクラップは嵩を減らして積み上げて保管できるようになったが、スペース不足の状況を解消するには至っておらず、今後も倉庫を増やす計画である。

1990

新製品開発と業務提携で飛躍

KTLシリーズ(塗料・印刷インキ用)とPTFE分散液の開発

 フッ素樹脂潤滑用添加剤事業では粉砕加工技術を活用して、さまざまな品種のPTFE潤滑用添加剤を開発してきた。1990(平成2)年にはKTLシリーズの新商品として、塗料・印刷インキ用グレードを開発し、「KTL-8N」として製造・販売を開始した。この新商品は塗料・印刷インキに添加することで、低摩擦性と耐摩耗性を与え、非粘着効果も得られる。キズや汚れを防止し、塗面の耐久性を大幅に高めることができる。
 開発前の段階で顧客から情報を集めたところ、それまでの塗料・印刷インキ用添加剤はアメリカ企業がほぼ独占的に製造する製品で、高額であった。また、国産品を要望する顧客の声も聞かれた。それまでも喜多村は汎用製品だけでなく、顧客ごとの細かな要望を吸収し商品開発に結び付けてきたが、この塗料・印刷インキ用添加剤もそうした開発姿勢から生まれた商品である。
 顧客の希望をさらに反映した「KTL-4N」を上市するなどKTLシリーズの塗料・印刷インキ用グレードは好評で、他用途向けのフッ素樹脂潤滑用添加剤と合わせ、販売状況はひと頃と比べて大きく改善した。需要が増えたことで、古川第2工場などで抱えていたフッ素樹脂スクラップの在庫も適正な状態に戻すことができた。
 PTFE粉末の場合、粘度が高い液中で使用する際は、粉末を分散させて長時間にわたって均一な状態を保つことが難しく、大きな課題であった。顧客からは「添加剤を粉末ではなく、液体の状態で提供できないか」「液中に分散させる手間を省けないか」との要望も多かった。そこで喜多村では分散液の開発を進め、商品化に成功した。1993(平成5)年1月、従来のPTFE粉末ではなく、液体の状態で提供する分散液を「KDシリーズ」として販売を開始。開発したKDシリーズは、用途に応じてPTFE粉末をアルコールなどの各種溶剤に均一に分散させた点が特長である。応用できる用途としては、樹脂・金属などの表面処理剤、PTFE薄膜コーティング、分散系商品への配合、塗料・インキ・表面コート剤への配合などが挙げられた。

KTLシリーズを
塗料や印刷インキへ添加

東邦冷熱株式会社と業務提携

 喜多村では粉砕加工技術をもって多様な物質・材料を受託粉砕してきた。受託粉砕の件数が増加することに合わせ、本社、古川工場ともに粉砕に関わる最新の各種設備を導入してきた。多くは常温での粉砕作業であるが、樹脂の種類によっては粉砕が困難であったり、粉砕設備の発熱により樹脂が変質・劣化したりする可能性もある。その問題を解消するための一つに低温粉砕という手法がある。喜多村は1991(平成3)年9月、低温粉砕で実績のある東邦ガス関連会社の東邦冷熱株式会社低温粉砕センターと業務提携し、協力体制を整えた。
 東邦冷熱の低温粉砕センターは、液体窒素による低温粉砕を専業としていた。この手法を用いれば、樹脂などを粉砕する際に割れやすくなること、粉砕の生産性が高いことなどの利点がある。そこで、両社の利点を生かすべく業務提携が実現した。
 なお、同社との提携関係は現在も継続している。

東邦冷熱の低温粉砕機
物質の低温脆性を利用し常温粉砕設備では
粉砕不可能な素材に対応
2000

近代的な事業運営を実現したISO9002

グアム社員旅行(2000年7月)
2泊3日の日程で、3班に分かれ実施

ISO9002認証を全社取得

 これまで喜多村では、製造や品質管理、品質検査の手順に関する社内ルールが統一されておらず、情報の共有化、各種作業のマニュアル(文書)化が遅れていた。例えば生産現場では、仕事の進め方は先輩が直に指導し、作業の手順や作業効率も個人で差があった。営業でも文書による伝達、記録の保存は少なく、技術の伝承、品質面の維持管理も個人に委ねる状態が続いてきた。後に第2代社長となる北村眞行(1997〈平成9〉年入社)は、入社後の1年4カ月は古川工場で現場研修を経験したが、こうした旧態依然とした状況を改善し業務の仕組みを整備するには、ISO認証の取り組みが最適ではないかと考えた。そして、北村勝政社長の了解を得て、1998(平成10)年5月、品質マネジメントに関わるISO9002*(品質マネジメントシステム)認証の取得に向け、全社で取り組みを開始した。
 認証取得の作業は、外部のコンサルタント会社には依頼せず、自社で取り組むこととした。従来の生産活動、設備点検、品質検査、施設管理などの手順を再確認することから始め、社内体制の整備、作業の見直しを進めた。多くの作業で基本となるマニュアル類が未整理だったが、特に古川工場の検査トレーサビリティなど今までなかった仕組みの構築には時間を要した。
 マニュアル整備では、社員に作業手順を共通化することの重要性を説明し、継続的に作業を改善する意識づけに力を注いだ。認証取得の準備は約2年続いたが、その過程で基本的な業務の手順を文書化し、その手順に基づいて作業や情報を共有する体制を整えていった。
 2000(平成12)年2月、一般財団法人日本品質保証機構(JQA)の審査に合格。ISO9002認証を取得した。ISO9002認証をベースとして、以降はさまざまな仕組み(原単位管理、顧客管理など)の構築につながっていった。その後、同年7月には、ISO認証取得の慰労と記念を兼ねて、全社員によるグアム旅行を実施した。なお、ISO9002は規格が改定されたため、喜多村は2002(平成14)年、ISO9001に移行した。

ISO推進活動予備審査
(1999年9月29日~10月1日)
JQAによるISO9002:1994年版認証登録の本審査を2000年1月に控え、予備審査を実施。不適合事項を改善し、本審査へ臨む
ISO9001登録証
第2代社長 北村 眞行

*ISO9002:
国際規格ISO9000シリーズの一つで、品質保証、顧客重視、継続的改善などの視点から、企業が日常的に実行すべき基本ルールを盛り込んだ規格のこと。認証を取得することは、その企業の品質管理が国際規格レベルを達成していることの証明となり、対外的な信用も増すことにつながる。

2005

環境と労働安全衛生も万全に

ISO14001・OHSAS18001認証を古川工場で同時取得

 古川工場では2003(平成15)年、ISO14001およびOHSAS18001の認証を同時取得することを決め、ISO推進室を組織。取得に向けた準備を開始した。ISO14001は、製品の製造やサービスの提供など、自社の活動による環境への負荷を最小限にするよう定めた環境マネジメントに関わる国際規格。OHSAS18001は、労働安全衛生マネジメントシステムを構築するための国際規格である。特にOHSAS18001は、本社工場で作業中に重大な労働災害が発生し、会社として安全衛生対策を強化する必要性を感じたためでもあった。
 ISO14001取得にあたり、製造工程で必要な電力、燃料、水などをいかに効率的に使用し、原料から製品に至る過程で収率を上げて資源を有効に活用するかが課題となった。また、排気、排水などの方法を工夫して、大気・土壌・河川の汚染を防ぐ対策も必要となった。工場周辺に対しても、騒音、振動、悪臭などの低減が求められ、さらに廃棄物の低減、資源再利用の工夫なども要求された。
 労働安全衛生マネジメントシステムに関しては、製造工程や原料管理でのリスクを改めて確認し、安全衛生マニュアル、化学物質等管理要領などを作成していった。

製造部とISO推進室が中心となり、全社一体で認証登録の要求事項を満たすべく両システムの改善を実施。2005(平成17)年3月、JQAによる両認証の審査を受けた。その結果「改善指摘事項」はなく審査を通過。同年4月、古川工場はISO14001、およびOHSAS18001認証を同時取得した。その後もJQAによる定期的な審査を受けて認証を継続し、環境および労働安全衛生マネジメントシステムの改善を続け、2018(平成30)年9月にはOHSAS18001はISO45001へと移行した。
 なお、2016年度には省エネ政策の事業者クラス分け制度*で、喜多村は「省エネ優良事業者(Sクラス)」と評価され、2021年度まで6年連続でSクラスとされている。これもISO14001基準の改善を継続してきた成果の一つと言えるだろう。*省エネ政策の事業者クラス分け制度:経済産業省に定期報告を行うすべての事業者を、S(優良事業者)・A(一般事業者)・B(停滞事業者)・C(要注意事業者)の4段階にクラス分けする制度。

ISO14001登録証
ISO45001登録証
2006

業界初の設備を導入

クリーンルーム
粉砕室は1製品1ルーム体制。常にクリーンな状態が保たれるよう24時間制御

本社第2工場にクリーンルーム完成

   受託粉砕の営業活動の中で、ある精密部品の材料メーカーから「通常の大気中のチリやホコリが問題になることがあるので、クリーン環境での粉砕はできないか」との要望を受ける機会があった。2005(平成17)年当時、そうした高い精度やクリーン度を求める材料メーカーの要求に対して、受託粉砕できる企業は、喜多村はもちろん業界には存在しなかった。そこでクリーンルーム導入の検討を開始した。
 こうした経緯から、2006(平成18)年4月に本社第2工場を新設。微粉砕に特化させた設備を主体とし、カウンタージェットミルを使用することで、高付加価値材料の微粉砕に適応できる業界初のクリーンルームを設置した。
 クリーンルームは前室およびエアシャワーを備え、清浄度「クラス10万相当」で異物混入防止を実現。設備を洗浄する際に使う洗浄水も同等品質とするため純水装置を導入した。各加工室には防塵塗装を施し、配線類は床ではなく壁上部などに配置して床清掃をしやすい工夫をし、室内を常に清潔に保てる設計とした。
 その後、「数㎛以下に微粉砕された粒子表面を観察できないか」とのお客様からの声にも応え、2007(平成19)年には本社品質保証部門に電子顕微鏡を導入した。これにより、数㎛以下の粒子表面の観察が可能となり、わずかな運転条件の違いで粒子形状の変化を把握できるようになった。本社第2工場は、新設直後はしばらく稼働が少ない時期もあったが、2011(平成23)年頃からは受注が安定し、順調に稼働している。

県や国が認める優良企業に

働きやすい会社づくり

「愛知県ファミリー・フレンドリー企業」表彰式(2019年)

 社員にとって「働きやすい会社」「勤務し続けたい会社」を目指し、喜多村は常に社内制度の整備を進め、職場環境の改善に努めている。しかし、1990年代までの実態は残業や休日出勤の長時間労働は当たり前で、有給休暇を取得しにくい昭和的な価値観の日本企業の典型であった。
 2000年代に入った頃から、この状況を打開する必要を感じた総務部長は、労働環境の改善に向けた問題点を洗い出し、有給休暇の取りやすい環境づくり、時間外労働の削減を目指した。そして、2006(平成18)年に「計画有給休暇取得制度規定」「時間外勤務・休日勤務等に関する規定」を制定、運用を開始した。
 制度の導入にあたっては、現場管理者から「忙しいのに好きな時に有給休暇を取得されると、生産計画が組めない」との声が聞かれた。社員からも「残業・休日出勤なしでは、毎月の生活が苦しくなる」との意見もあった。
 当時、新事業を見据えて土地の購入を検討していたが、リーマンショックの影響で中止となった。その際、社員はすでに採用しており人員増加となった。リーマンショックは短期間で終わりその後は業務が好調となったことから、2008(平成20)年7月に納期厳守のために3交替勤務を実施した。先に採用した人員がいたからこそできた勤務体制であり、結果的に休日出勤・残業も減らすことができ、生産計画の立案も円滑に行われるようになった。
 他に法定よりも手厚い介護休業、介護出勤体制(週3日出勤等)を導入し、理想とする働きやすい会社へと一歩ずつ近づけていった。
 その後も社員の意見を聞きつつ、会社として少しずつ改善を進めた結果、2010(平成22)年11月には「愛知県ファミリー・フレンドリー企業」の登録を受けるなど、外部からの評価も高まっていった。2015(平成27)年5月には社員の不測の事態に備え、休職時の所得補償保険に加入した。2018(平成30)年には50歳以上の社員に対して、会社負担でがん保険に加入する制度を開始。2020(令和2)年からは育児休暇取得促進のため、育児休業取得奨励金を支給しており、男性の育児休業取得者も増加してきた。
 各制度は社内に定着し、有給休暇取得率は80%を達成(第45期~第48期)。残業時間は正社員一人あたり月約10時間(第45期~第49期)となった。これらは企業としてできることを積み重ねてきた結果であり、社外からさまざまな認定・登録がなされたことは、当社の施策が間違っていなかったことの証明でもある。

健康経営の主な取組事例

① ノー残業デーの実施毎週水曜日、木曜日は残業をしない
② インフルエンザの予防接種
費用の補助
本人と同居家族の接種費用を補助
③ 全社にストレスチェック実施50人未満の事業所においてもストレスチェックを実施
④ 当社負担保険による私傷病
の治療費等の補助
当社が加入している保険により社員の私傷病の
治療費等を補助
「愛知ブランド企業」認定授与式(2006年)

「優れた理念、トップのリーダーシップのもと、業務プロセスの革新を進め、独自の強みを発揮し、環境に配慮しつつ、顧客起点のブランド価値等の構築による顧客価値を形成している製造企業」を認定

「ファミリー・フレンドリー企業奨励賞」を受賞
(2019年)

「従業員の仕事と生活の調和を図るため、育児、介護、労働時間の低減、その他働きやすい職場環境づくり等幅広い分野で、他の模範となる優れた取り組みを推進し成果を上げている企業」を認定

認定・受賞年表

2006年1月平成17年度愛知ブランドの認定企業
2010年10月古川工場が「はつらつ職場づくり宣言」事業場に登録
2010年11月「愛知県ファミリー・フレンドリー企業」に登録
2017年7月「仕事と介護を両立できる職場環境」の整備促進の
ためのシンボルマーク「トモニン」の使用許可
2017年7月18日全国健康保険協会愛知支部より
「健康宣言チャレンジ事務所」に認定
2018年2月20日経済産業省・日本健康会議より
「健康経営優良法人2018」に認定
2019年2月平成30年度 愛知県ファミリー・フレンドリー企業賞表彰式
において、「ファミリー・フレンドリー企業奨励賞」を受賞
2019年2月経済産業省・日本健康会議より「健康経営優良法人
2019 中小規模法人部門」に認定
2019年3月愛知県作成「仕事と介護の両立モデル事例集」に
喜多村の取り組みが掲載
2019年6月5日愛知労働局より「働き方改革推進企業」に認定
2019年12月愛知県より「あいち女性輝きカンパニー」に認証
2020年2月経済産業省・日本健康会議より「健康経営優良法人
2020 中小規模法人部門」に認定
2020年7月2日厚生労働大臣により「くるみん認定」を受ける
2021年3月4日経済産業省・日本健康会議により「健康経営優良法人
2021 中小規模法人部門(ブライト500)」に認定
2022年1月介護両立支援の取り組みが厚生労働省の
「女性の活躍・両立支援総合サイト」で紹介
2008

情報の共有化に社員の一体感醸成

初回の事業発展計画発表会(第37期)
会長の北村勝政から辞令を受け取る社員
第48期事業発展計画発表会 懇親会

事業発展計画発表会の開始

 2006(平成18)年3月、北村眞行常務取締役が2代目代表取締役社長に就任した。喜多村では2000(平成12)年以降、ISO9002(後にISO9001移行)、ISO14001、OHSAS18001などの認証を取得し、企業の背骨となる仕組みを強化してきた。しかし、新社長となった北村眞行は、企業としての一体感がまだまだ不足していると感じ、従業員が一丸となって関わることができる新たな活動の必要性を感じていた。
 さまざまな情報を集める中で、北村眞行が心を動かされたのが日本経営合理化協会が推奨する取り組みの一つで、企業が全社員を集めて行う「事業計画発表会」であった。
 それまで喜多村でも事業計画書は作成していたが、経営陣による数値目標が主な目的であり、目標を社員と十分に共有できていたとは言えない状態であった。一方、事業発展計画発表会は全社員が一堂に集まり、当年度の会社方針などを発表することが特長である。本社と古川工場とが離れている喜多村にとって、この発表会は社員が集まる絶好の機会であり、発表内容も会社が進む方向性をしっかり示し、経営陣と社員とが情報を共有できることも大きな利点であった。検討の結果、喜多村でもこの事業発展計画発表会の導入を決定。2008(平成20)年5月10日、KKRホテル名古屋(名古屋市)に社員一同が集まり、初回の発表会を行った。発表会は第37期事業計画から実施され、その後は場所を飛騨に移し毎年実施。会社にとって重要な行事の一つとなった。
 この発表会の導入は、多くのプラス効果をもたらしている。成果の一つとして、経営目標が明確になったことである。目標を明確にすることで、その取り組みを行う必要性と理由を計画書に盛り込み、全社員が納得して取り組める動きとなった。何よりも社員全員が一堂に集まることで、会社としての一体感が強まった。
 なお、コロナ感染が全国規模で拡大した2020(令和2)年、2021(令和3)年はオンライン会議による開催方式に変更するなどして継続している。

海外展示会への出展を強化

展示会への出展で顧客を探索

 喜多村は受託粉砕、フッ素樹脂製品の両事業で展示会へ積極的に参加している。展示会出展の狙いは、社名、製品・サービスの認知度向上と受注につながる潜在顧客の探索である。
 受託粉砕事業では、国内で開催される展示会のみに出展している。展示会では、委託加工品のため顧客名や材料名を公表できないことに加え、加工品の見本を展示するだけでも顧客の許可・協力を得る必要があるなど、展示準備にも労力を要する。粉体の展示のみでは、粉砕の目的や用途が分かりにくいことなどが課題で、受託粉砕事業をいかに分かりやすく来場者へ伝えるかに苦労し、時には製造部員が作製した粉砕工程の模型を展示するなど、展示方法を工夫している。近年はブース設営業者と協議の上、相談スペースを広くしており、これは来場者には好評である。フッ素樹脂製品事業では、国内での喜多村の知名度はすでにある程度高まっているため、国内展示会の主たる目的は新たな用途開拓である。また、取引がある顧客の若手開発担当者と接触する良い機会ともなっている。海外では営業拡大に比重を置き、1990年代から展示会に出展してきた。海外の展示会出展は、その地域性、市場の可能性、潜在顧客を探索するのに非常に有効であり、これまでに多くの成果を得てきた。特に2008(平成20)年以降は出展を強化、ドイツ、アメリカ、中国、韓国、台湾、インドでの展示会に出展してきたが、現在では主にドイツと中国のプラスチック関係の展示会に毎年出展している。
 しかし、受託粉砕事業と同様に、フッ素樹脂製品事業の展示会でも展示方法や製品説明の面で苦労が少なくない。フッ素樹脂は白い粉状の添加剤であるため、粉の展示だけでは用途が伝わらない。また添加剤ではなく成形用PTFEと誤解されることも、しばしばである。こうした誤解を減らすため、展示会では見ただけで分かる説明パネルの展示を心がけ、各国での製品PRに努めている。

「粉体工業展 2006」
日本
「Fakuma 2012」
ドイツ(フリードリヒスハーフェン)
「TaipeiPLAS 2014」
台湾(台北)
「KOPLAS 2015」
韓国(ソウル)
「NPE 2015」
アメリカ(フロリダ)
「高機能プラスチック展 2017」
日本
2019

化学物質規制への速やかな対応

PFOA問題の発生と規制対応品開発

 PFOAとその塩、その関連物質がEU REACH規則のAnnexXVⅡに収載されることとなった。それにより、2020(令和2)年7月からPFOAおよびその塩を25ppb以上含む物質・成形品等の使用・販売・輸入が禁止されることは認識していたが、喜多村製品の原料は重合段階でPFOAが不使用であることと、製品自体もその当時の測定方法で非検出を確認していたため、喜多村のPTFE潤滑用添加剤(PTFEマイクロパウダー)には影響がないと考えていた。
 しかし2018(平成30)年春から夏にかけて、ユーザーなど複数の外部ソースよりPTFEへの放射線照射によりPFOAが副生するという情報がもたらされた。
 その頃、測定方法も進化していたこともあり、喜多村の放射線照射された製品群であるKTLシリーズの副生PFOA含有量が25ppb以上含まれているという事実が判明した。さらに2019(令和元)年5月にストックホルム条約(POPs条約)条約締約国会議において同条約の附属書A (廃絶)に追加されることが決定された。POPs条約では副生成物は対象外ではあったが、同条約を締約している日本は化審法を改正し、PFOAを第一種特定化学物質(製造・販売の禁止)とすることが決まった。欧州の規則だけでも影響が大きいことが予測されたが、日本の法律でも規制されると多くの製品の製造・販売ができなくなるため、喜多村に大きな課題が突き付けられた。これら規制に対し、日本弗素樹脂工業会やPTFEマイクロパウダーの競合他社とともに、PFOAが副生する放射線照射されたPTFEマイクロパウダーが製造・販売できなくなった場合の日本経済への影響を経済産業省に報告。数回の説明を実施した結果として、経済産業省、環境省、厚生労働省の3省に対し、事前に内容を相談の上、PFOA低減を前提としたBAT(Best Available Technology/Technique)報告をすれば、副生PFOAが第一種特定化学物質とみなされないというアドバイスをもらった。
 EUもPOPs条約に基づき、REACH規則から25ppb超のPFOAを含むPTFEマイクロパウダーの製造・販売を禁止とするPOPs規則に変更することとなった。喜多村は、EUのPOPs規則や日本の化審法対応(BAT報告)に必須のPFOA低減対策に関して、本問題が発覚した2018年10月より関係部署が参加し対策会議を開催した。その後プロジェクト体制で取り組み、数十回の会議を開催し、さまざまな方法の検討と考えうる設備の試作を繰り返したことにより、最終的に2019年7月以降に順次複数の大型設備の導入を決定した。導入後も開発部主導で、条件の検討を繰り返し、EUの基準である25ppb以下を達成できることを確認した。2019年秋頃より、EUと日本の規制に対応したKTLシリーズのサンプルワークを開始し、2020年7月より一部製品から上市を開始、すべての用途で規制対応品への切替が進んでいる。(2021〈令和3〉年12月現在)
 その規制対応品開発と並行して、経産省とBAT報告のための事前相談を重ね、2021年8月26日付で先の3省にKTLシリーズに関するBAT報告を行った。これにより含まれる副生PFOAが第一種特定化学物質とみなされないこととなった。

KTLシリーズ(PFOA規制対応品)の一部

物性 KTL-450AKTL-450KTL-620KTL-610
MAX粒子径(μm)測定方法88.00μm以下88.00μm以下62.23μm以下62.23μm以下
50%粒子径レーザー回折散乱法17.50 ±1.50μm22.00 ±5.00μm11.50 ±3.50μm12.00 ±3.00μm
融点DSC325~335℃325~330℃325~330℃325~330℃
耐熱温度TGA ※1430℃410℃410℃370℃
Regulation(EU)
2019/1021 ※2
適合適合適合適合
化審法 ※3適合適合適合適合
SEM写真
 

※1:Thermo Gravimetry Analyzer 熱重量測定
※2:EU POPs規則
※3:正式名称「化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律」

KITAMURA STYLE 粉のプロフェッショナルKITAMURA STYLE 

STYLE 1 フッ素樹脂潤滑用添加剤

フッ素樹脂スクラップを再資源化して、製品に付加価値をプラス

喜多村の主力製品であるフッ素樹脂潤滑用添加剤は、当社が独自技術で開発した4フッ化エチレン樹脂(PTFE)の微粉末。
摩擦・摩耗特性の改良剤として、合成樹脂、塗料、印刷インキ用など産業界で幅広く活用されている。

再資源化したフッ素樹脂を幅広い用途に

 喜多村は、フッ素樹脂スクラップを原料として洗浄・乾燥・焼成などの工程を経て再資源化、設立以来半世紀にわたって持続可能なものづくりに取り組んでいる。PTFEの特性は摺動性、非粘着性、耐熱性、撥水・撥油性、耐薬品性、耐候性などに優れていること。しかし、未処理のPTFEは凝集しやすく、そのままでは潤滑剤として使用できない。そこで焼成を含む独自処理によって潤滑剤を凝集しにくい状態に加工し、フッ素樹脂潤滑用添加剤KT/KTLシリーズとして販売してきた。

 

 この潤滑剤は合成樹脂などに添加し摩擦係数を下げることで、摩耗量の減少、稼働トルクの低減、キズ防止、異音防止などの効果を得ることができる。また製品群のうち、焼成されたグレードは、熱処理工程が不要であり、成形温度の低い樹脂中や熱のかからない工程中でもPTFE本来の摺動性を発揮する。そのため、喜多村製のPTFE潤滑用添加剤は多彩な摺動材料に適用できるため、幅広い用途と高い品質を有し、国内メーカーのみならず欧米やアジアなど海外の取引先にも提供されている。

高分子量製品は400℃超の高耐熱が特長

 KT/KTLシリーズ製品のうち、高分子量グレードである「400℃高耐熱PTFE添加剤」は、熱可塑・熱硬化樹脂、ゴム、エラストマーに添加することで、摩擦・摩耗特性、PV値を改善することができる。また、防汚、非粘着、撥水・撥油などの機能を付与することも可能である。
 このグレードは、融点以上でも分解・メルトフローしないため、成形温度400℃以上の樹脂への添加も可能。粒子径はそのままベースとなる素材の中での分散状態を想定して設計されており、撹拌・混練するだけで均一な分散状態を得られる。特に最高分子量のKTシリーズは、420℃でも分解ガスの発生がなく、成形温度の高いスーパーエンプラ添加剤として高い評価を得ている。

分散性に優れたKTLシリーズ

 低分子量のKTLシリーズ製品は1~100㎛の幅広い粒子径の添加剤を各種取り揃えている。特性としては粒度分布がシャープなため、分散性に優れていて、クリアコートにも使用が可能である。特長として、塗料やコーティングへの添加では低摩擦、低摩耗、キズ防止、非粘着、低トルク、音消し、撥水・撥油、防汚などに効果がある。また、印刷インキへの添加ではキズ防止、ブロッキング防止、色移り防止などに効果がある。他にオイル、グリス、カーワックスへの添加もできる。

お客様の声を製品開発に反映

 お客様の意見や要望を聞き、それを製品に反映させるのが喜多村の開発姿勢である。これまでもKTLシリーズの塗料・印刷インキ用添加剤、分散液のKDシリーズなど、お客様の声に応えて、製品化した例は数多い。また、オリジナル製品の開発に加え、従来品の品質改良、PFOA(ペルフルオロオクタン酸)規制対応品への切替など、専門知識と技術を活用し、市場ニーズや規制に対応した製品の開発・改良に挑戦している。

STYLE 2 受託粉砕

受託の粉砕実績と継続率の高さが、粉砕加工技術へのこだわりの証

喜多村の基幹事業の一つである「受託粉砕」。この事業はお客様から依頼された材料を預かり、要望どおりの粒子径(大きさ)に粉砕・分級して返却するサービスのこと。「設備」「加工室」「洗浄」を3本柱にお客様専用の粉砕プラントを用意し、産業界の幅広い要望に応えている。

粉砕設備と周辺設備を最適化して活用

お客様の多様な要望に応じた粉砕加工を行うには、目的に応じた設備が必要となる。材料の性質、目標となる粒子径に合わせ、保有する設備群の中から最適なものを選定し、製造ラインを組み上げていく。
 一言で「粉砕機」といっても、カウンタージェットミル、旋回式ジェットミル、衝撃式粉砕機など粉砕機構と機能はさまざま、メーカー10社以上の粉砕機を130台以上保有している。喜多村は粉体加工機メーカーではないため機器メーカーの枠を超えた幅広い粉体加工機器を揃え、分級機や回収機などの付帯設備と組み合わせた最適な粉砕設備により競合他社には加工できない高難易度の要求にも応えている。

加工室は「一製品一部屋」を基本に

加工作業では、依頼がある材料・製品ごとに専用の加工室を設けている。つまり、「一製品一部屋」が基本。原料の開封から製品の梱包に至るまで、すべての作業を専用の加工室で行っている。
加工作業の過程で最大限の注意を払っているのが、コンタミレス(異物混入ゼロ)対策である。外部からの異物混入や他材料の混入を防ぐため、各加工室の床には防塵塗装を施し、配線は床清掃がしやすいよう壁面上部に設置。こうして常に部屋が清潔に保たれる室内設計とし、作業手順を徹底させている。
 現在は一般加工室39室のほか、本社工場にはクリーンルーム棟を設け、3室を完備。クリーンルーム棟の設置は業界初の試みであり、お客様からのコンタミレスの要望に対応できる体制を整備している。

使用後の設備はネジ1本まで徹底洗浄

 粉砕加工が終了すると、使用した設備はすべて解体して加工室から撤去、洗い場にて手洗いする。喜多村では加工した材料ごとに洗浄手順を決めておりネジ1本まで徹底的に洗浄、洗い残りのチェック体制も整えている。設備を搬出した後に、空っぽになった加工室は入念に洗浄する。床だけでなく、壁などもすべて水洗いし、次の材料を迎え入れるために備えている。

あらゆる粉砕に最善を尽くし、課題解決

 喜多村は「設備」「加工室」「洗浄」の各段階で最大限の努力を尽くし、決められたルールを徹底しながら、お客様からの多様な要望に対応している。次に紹介する依頼事例でも、万全の体制でお客様の課題解決を支えている。
[食品の粉砕] 古川工場では食品添加物製造許可エリア(食添専用棟)を設置しており、食品や食品添加物の粉体加工も可能だ。ここでも「一製品一部屋」の加工体制とし、一製品が終了するごとにラインを完全に洗浄している。
[粉砕テストへの対応]粉砕テストや試作に対しても量産と同じ環境で試験するのが、喜多村のこだわり。小ロットでの粉砕テストにも加工用の個室を用意し、テスト後は装置を分解洗浄している。
[吸湿性材料の粉砕] 吸湿性の高い材料には空調設備を設けた粉砕室を使用し、製品の梱包にはヒートシールを施し対応している。
[低融点材料の粉砕] 喜多村は「常温・乾式」が専門だが、30℃程度の融点の低い材料粉砕は、業務提携している東邦冷熱・低温粉砕センターと協力し、冷凍粉砕を行っている。
 以上のように、粉体加工に関わるあらゆる設備・体制を整えた結果が、1万2,717種の粉砕実績、受注継続率91.0%(2020〈令和2〉年度実績)に結び付いている。

STYLE 3 改善活動

自発的な改善活動によって、「現場力」を高め、さらに強い会社へ

5S活動の継続にまず「掃除しやすい環境」を

 1990年代後半まで喜多村では品質向上や職場改善の意識が乏しく、改善のための仕組みがまだ整備されていなかった。
2000(平成12)年以降はISO認証の取得を通じて、品質管理や労働安全衛生管理に関わる意識が社内に根付いていった。そして2010年代以降、社長が自ら主導して5S活動を徹底することとした。業務を改善していく上で、特に製造面で品質向上の基本となるのが5Sである。5Sとは「整理・整頓・清掃・清潔・しつけ」のこと。「現場力が上がれば、社員一人ひとりが現場に潜むさまざまな問題を自発的に解決できるようになる」と考え、現場力のさらなる向上を目指した。まずは「できる限り掃除しやすい環境に整備すること」にこだわり、生産現場の環境改善と社員の意識改革に力を尽くした。
5S活動の代表的な取り組みとして、工場内の床にあるケーブルを上方向へ配置し、床の防塵塗装を施した。また、工具箱を撤廃するなどの改善を実施。これにより、床に置かれた工具や邪魔な配線がなくなり、掃除がしやすくなった。また清潔な作業環境の確保とともに、作業の安全性も高まった。この取り組みを通じて、現場で働く社員の意識も大きく変わってきた。

 

5S活動の事例

1床のケーブルは上方向へ|床の清掃効率を考慮して、設備のケーブルは床を這わせないことを徹底。配線ダクトを
用いて壁面や装置の上部を這わせるなど、床から一定の距離をとるようにした。
2床の防塵塗装|従来の床は一般的なコンクリート製だったが、その床に防塵塗装を施した。
3工具箱の撤廃|一人に 1 個だった工具箱の使用を廃止し、共用の専用台車で工具を管理することとした。
床面には基本的に物を置かないことをルール化した。

改善の成果による好循環で現場力を鍛える!

 5S活動は社員の自主性に任せるだけでなく、社長が毎月、本社工場と古川工場を巡回した。5Sに取り組む本気度を社員へ示す機会でもあったため、現場の改善点などを細かくチェックし、さらに改良すべき点があれば指摘していった。
 5S活動の成果は、社内の事例発表会で全社員に周知される。その後、会社Webサイト内の改善報告専用ページで公開。改善事例は社内外の誰もが閲覧できるため顧客の反応(驚き)も大きく、それが会社の信頼性向上にもつながっているため、社員の手応え(喜び)にも結び付いている。そうした喜びが原動力となり、さらに次の5S改善を目指す、この一連の「5Sの好循環」こそが、社長が目指すところの5S活動であった。社員各自による自発的な問題解決能力に結び付き、それが「強い現場力」を実現している。
5Sの改善例は2つの工場を合わせ、月平均50~60件が実施されている。また、2022(令和4)年時点で自社Webサイトでの改善公開数は3,500件超を数えるほどの多さで、その数字が社員の問題意識の高さを示していると言えよう。

5S活動の好循環図

KY(危険予知)活動の取り組み

 労働安全衛生面の向上のためには、作業現場の危険を予測し、その危険性を排除した上で安全に作業を行うことが重要である。喜多村では改善活動の一環として、KY(危険予知)活動、およびKYT(危険予知トレーニング)に取り組んでいる。
 製造現場ではパレットに原料が入った重い箱を移動させる作業がある。その際、パレットと床の間に段差やすき間があり、「足が挟まる」「段差につまずいて転倒する」などの危険が予測された。そこで、「パレットとの段差、すき間をなくし高さを揃える」「積み込み時に “足元、ヨシ!”と指差し呼称する」ことを対策として採用した。この対策によって、作業の危険を低減させることができた。
 このように、KY活動を通じて日常作業における危険や問題点を察知する力を養い、対策を講じることで、安全な職場環境づくりに役立てている。

   

事例
1

テーマアルミ袋
ヒートシール作業
 1ラウンドどんな危険が潜んでいるか?
 2ラウンドこれが危険ポイントだ!
 以下の危険が挙げられ、重要危険ポイントを設定
   1無理な姿勢で製品を持ち上げ腰を痛める
  2製品を持ち上げセットする際、
アルミ袋で手を切り怪我をする
   3アルミ袋を持ち上げた際、体勢を崩してしまい
転んで怪我をする
 4圧着する時、誤って手を挟んでしまい怪我をする
   最重要危険ポイント ○ 重要危険ポイント
 3ラウンドあなたならどうする?
  上記の 最重要危険ポイントに対して、以下の具体的対策案を提案
  1保護手袋を着用する
 4ラウンド私たちはこうする!
  上記の対策案を実施するために、
以下のチーム行動目標と指差し呼称を設定
  チーム行動目標ヒートシール作業をする際は、
保護手袋を着用して作業しよう!
  指差し呼称保護手袋着用ヨシ!
  
  
       

事例
2

テーマ室外での溶接作業
 1ラウンドどんな危険が潜んでいるか?
 2ラウンドこれが危険ポイントだ!
 以下の危険が挙げられ、重要危険ポイントを設定
 1雨の日や、雨などで地面が濡れている所で
溶接を行うと感電する
  2アースを取り忘れて母材に触れたまま
溶接しようとすると感電する
   3溶接個所に燃えやすい物が
付着していると引火して火事になる
 4エンジン溶接機はエンジンやマフラーが
高温になるため、誤って触れると火傷する
  最重要危険ポイント ○ 重要危険ポイント
 3ラウンドあなたならどうする?
 上記の 最重要危険ポイントに対して、以下の具体的対策案を提案
 1 アースが取れているか確認する。
溶接時は母材に触らない
  2 溶接個所や周りに燃えやすいものが無いか
確認する。防火バケツを準備する
 4ラウンド私たちはこうする!
  上記の対策案を実施するために、
以下のチーム行動目標と指差し呼称を設定
  チーム行動目標エンジン溶接機で溶接作業をするときは、
アースが取れているか、燃えやすいものが
近くに無いか確認しよう!
  指差し呼称アースよし、防火バケツよし!
  

「俺たちのKAIZEN」活動

喜多村では独自の品質改善活動として「俺たちのKAIZEN」の名称で、改善に取り組んでいる。この活動はチームごとに掲げた改善テーマについて、1年間をかけて改善を進め、期末の「俺たちのKAIZEN発表会」で成果を発表するもの。優秀な取り組みは社内で表彰される。
 優秀事例の一つが、古川工場で取り組んだ「粉砕刃の取り付け方法の改善」である。回転刃と固定刃のクリアランス(すき間)は0.3㎜に調整する必要があるが、きめ細かい調整条件であることに加え、回転刃が6枚あるため刃のクリアランス調整に多くの時間を費やしていた。そこで要因を解析し、改善に向けて解決すべき要点をあぶり出した。対策を検討し専用治具を製作。生産現場では、この治具を使った回転刃の取り付け講習を実施し、担当製造部門の全社員に周知させた。これにより作業の標準化を進めることができ、従来比で作業時間を75%短縮できた。
 そのほかにも「ブロック原料粗粉砕作業時間の短縮改善」のテーマを掲げ、約12時間かけてブロック原料を粉砕し粉砕品を充填していたのを7時間で終わらせることを目指した。要因を解析したところ、粉砕品が機械の熱により加熱されタンク内で凝集することが分かった。そこで、回収タンクの放熱改良と夜間運転する量の制限により、約4時間半の充填作業短縮となった。
 これらの例のように各部門が改善テーマを掲げ、喜多村では常に業務の効率化、労働環境の改善を図っている。

KAIZEN手順
①現状把握④対策の検討・実施
②目標設定⑤効果の確認施
③要因解析⑥標準化と管理の定着

「俺たちのKAIZEN発表」優秀例

事例
1

テーマ粉砕刃の
取り付け方法の改善
    
問題点チーム14 「川崎フロンターレ」 発表

クリアランス調整は取り付けがシビアなため何度もやり直すことが多く、作業者の負担となっていた。

何度もやり直す手間と、苦手意識を改善したい

クリアランスが0.3mmになるまで繰り返す

KAIZEN

要因解析することで解決するポイントをあぶり出し、専用治具を製作。これにより、取り付け時間が約75%削減、大幅な作業時間短縮を実現。

専用治具を作製

部員への周知
製造部内で治具を使った回転刃の取り付け講習を実施

事例
2

テーマブロック原料粗粉砕
作業時間の短縮改善
    
問題点 チーム22 第2製造部

ミクロマットでブロック原料を粉砕後、粉砕品が回収タンク内で凝集して出てこないため、充填に約12時間かかっていた。

何度もやり直す手間と、苦手意識を改善したい

原因を究明し、充填作業時間を短縮したい

KAIZEN

タンクに粉砕品を溜めすぎると放熱されず凝集するため、タンクを改良。タンク残量も2tまでとしたことで、約4時間半の充填作業短縮を実現。

放熱ができるよう点検口をフィルター型に交換

STYLE 4 管理の仕組み

品質向上に向けITを駆使し、各種システムを自社開発

粉体加工は受託粉砕、フッ素樹脂潤滑用添加剤、いずれの事業にとっても軸となる技術である。喜多村は粉体加工のプロとして、製品の品質検査、設備の故障解析など、ものづくりのさまざまな場面で独自の管理システムを運用。常にお客様に最適な製品を提供できる体制を整えている。

品質特性の異常を現場に知らせるKアラート

 受託粉砕およびフッ素樹脂潤滑用添加剤において、製品の品質特性を把握する基準の一つに粒子径分布がある。現在、喜多村ではその検査・測定を徹底しているが、過去には「規格の範囲内であれば良い」という風潮もあった。そうした視点でのものづくりでは品質にばらつきが生じ、お客様からの信頼は得られなくなってしまう。
  こうした問題を解決するため、2017(平成29)年、品質特性の異常な傾向を自動で感知し、製造現場に知らせる「Kアラート(検査結果異常通知)システム」を導入した。Kアラートは、品質検査のすべての特性値について、自動でトレンド管理(特性値のばらつきや平均値をチェックすること)を行う。この手法の特長は品質管理の手法の一つである管理図を用いること。過去データから1%以下の確率で発生する状態を「異常」と判定し、製造現場にいち早く通知する。

当初は一部で手作業による管理図を作成し、異常を検知していたが、最終的にすべての特性値の管理図を全自動で作成し、トレンド管理が行えるシステムの構築を実現した。
同システムの導入・運用によって、社内では安定した(品質のばらつきが小さい)製品づくりが可能となり、品質の重要性を再認識することとなった。また、従来品よりも管理限界線を狭めることができた製品が多数あり、品質向上に結び付いている。QC七つ道具である管理図を用い、すべての特性値検査を全自動で行う企業は業界内には見当たらず、オンリーワンの取り組みである。今後はさらにKアラートの精度を向上させていく。

Kアラートシステム
1
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3
4
5

1 測定結果をシステムに入力すると管理図、管理限界線を自動計算

2 異常な傾向がある場合は画面上で検査者にアラート通知

3 検査結果の異常を製造現場へ通知
 

4 製造現場では該当する粉砕室、品番、測定値が点滅。異常傾向をその場ですぐに確認

5 規格外れのほか、5種類の異常傾向も監視

設備の故障を事前に察知するFMEA

 作業を安定して継続するには、加工設備面の管理も不可欠である。実際に喜多村では設備の不具合が原因による異物の混入を経験したことがある。このような事態が発生すると大きな損害と信頼を損ねるため再発防止に努めたが、抜本的な対策とはならなかった。
 2015(平成27)年、こうした問題を解決するためFMEA(Failure Mode and Effects Analysis)の導入を宣言し、システム開発に着手した。FMEAとは故障モード影響解析のこと。製品や製造プロセスが持つリスクをその設計段階で評価する手法である。事前に問題点を浮き彫りにし、対策を施すことで未然に被害を防止できるとされた。
 主な作業となる粉砕工程では類似工程が多数存在するため、FMEAの変更点が他工程にも適用できるよう自動的に水平展開させることとし、当初から全自動によるシステム構築を目指した。また、システム開発の過程を通じて、関わる人材を育成することも狙いとした。
 まず手作業ですべての設備についてFMEAを作成したが、多大な労力を要した。最終的にすべてのFMEAをEXCELで作成したが、完成までに約4年がかりとなった。関係部署との調整も多く開発にも相当の苦労があり、根気のいるプロジェクトであった。
 本格的なシステムの運用は2021(令和3)年に始まったばかりだが、従来と比べ明らかに設備に起因する不具合やクレームは減少した。FMEAの変更を水平展開したことで類似設備にも同時に適用できるようになり、より効率的な稼働が可能となった。FMEAがすべての設備・工程に適用されたことで、信頼度向上に貢献している。

STYLE 5 数字で見る喜多村

喜多村で働く社員に趣味や休日の過ごし方、喜多村の自慢できるところや今後の想いなどさまざまな角度からアンケート調査を行いました。
今の社員の姿や傾向を知ってもらうことでコミュニケーションの一助となり、今後ますます喜多村が発展していくことを期待しています。

総回答数:167名(複数回答あり) ※2021年12月時点

プライベート

出身地

岐阜県124人富山県1人
愛知県 25人石川県 1人
三重県 2人滋賀県 1人
静岡県 2人兵庫県 1人
東京都 2人香川県 1人
北海道 1人福岡県 1人
岩手県 1人宮崎県 1人
千葉県 1人

毎月のお小遣い

休日の過ごし方

・とにかく外にいます(~ 20 代・男性)
・子供とお菓子作り(30 代・女性)
・家族サービス(40 代・男性)
・買い物もしくは飲んでいます(50 代・女性)
・バイクツーリング(60 代・男性)

一番楽しい時間

趣味

会社

喜多村の強み

・とても充実した福利厚生(40代・男性)
・有給休暇を取りやすい(30代・女性)
・高度な独自の粉砕技術(30代・男性)
・クライアントからの信頼(40代・女性

・社長が若く自由な風土(60代~・女性)
・役職名で呼ばないアットホームな職場(30代・男性)
・社員のことを考えた制度や仕組みの充実(40代・男性)
・自然に囲まれている(40代・女性)

喜多村の弱み

管理・教育44%・部署間の連携が不十分(40代・男性)
・上層部の人達と一般職の人達の意見交換ができておらず、
 双方の思いがいき違ってしまい同じ方向に向かって
 進んでいない(40代・男性)

新規事業への
取り組み
11%・第3の柱が見つかっていない(60代~・男性) 1 1 %
・受託、フッ素以外の新規事業に対して全員参加の
 挑戦や研究力(60代~・女性)

不便な立地10%

・冬が大変です(40代・男性)
・熊出没注意(30代・女性

人間関係9%

・他人、他部署を知らないのに
非難する人間が多い(40代・男性)

知名度の低さ6%

・当社のことを知らない人から見ると
 何をしている会社なのか分かりにくい(30代・男性)

その他20%

・人材不足(30代・男性)
・画期的な想像力(50代・男性)

入社して一番嬉しかったこと!

待遇42%・前職に比べ休日が格段に増えた
・ボーナスが多かった
・入社してから初めてお歳暮として「飛騨牛」を
 もらったときは「なんてステキな会社!」と驚いた
仕事24%・粒度が全く入らず納期も迫っている中でギリギリの思いつきで
 何とかなった
・夜勤の時に設備トラブルがあり困っていたところ
 亡き会長が作業服に着替えて手伝ってくれた
人間関係13%

・優秀で人間的にも素晴らしい仲間に出会えた
・生き方や考え方など、今の自分を形成するきっかけに
 なった先輩に出会えた

その他21%

・勤続35年を迎えられた
・病気の時に社長がお見舞いに来てくれた
・家族ができた

社長になったら何がしたい?

印象に残っている名言

手を尽くす24%
雨が降れば傘をさす23%
生き残る種とは、変化に最もよく対応したものである20%
困っても困らない17%

社内投票

メッセージ

喜多村に出会えてよかったです。
地球環境に優しく、発展し、
100周年を迎えられるように!!
いろいろあった50年ですが、まずはおめでとうございます。楽しく仕事ができる職場を実現し100年200年を目指して頑張りましょう
50年の歴史を作ってきた方々に感謝しつつ、これからの時代の変化に対応していきましょう。

山奥で白い粉を作り続け、
飛騨では勤めたい会社ナンバーワンに
なっていると思います。
今、所属させていただいていることに感謝です。

このままのいい会社でいてください。
創立50周年おめでとうございます。私の生まれる前から存在しているということで、
いかに歴史がありすごいことであるかということが分かります。
これからも社員にとって居心地の良い会社であり続けてほしいと思います。

100年に向かって進化あるのみ!!

日本国内とは言わず、
世界に通用するような物作りを
実行していってほしい。
創立50周年おめでとうございます。
生活の中ではあまり目で見られない製品ですが、確実に身のまわりにあり役立っています。
今後もよろしくお願いします。
良い会社に入ったなと
常々思います。
手厚い支援、
配慮にも感謝しています。
創立50周年おめでとうございます。
これから先も世界に誇れる会社で
あり続けることを祈念いたします
まだまだ長生きしてください。
未来永劫存続しうる会社に
なるよう願っております。
喜多村が今後もますます成長していけるよう日々努力していこうと思います。
コロナショックに負けず、さらに進化できるよう
応援させていただきます。
50周年おめでとうございます。
何も取り柄が無かった高卒の
私をここまで勤めさせていただき、
ありがとうございました。

大昔の喜多村を知っている私には
今の喜多村は別会社ほど
変化(進化)しました。
さらに100周年....、見てみたいな~。

本当にここまでいろいろあった50年間でしたが、無事に迎えられることはすごいことだと思います。現在も元気で社会に貢献できている喜多村の社員として誇らしいです。ありがとうございました。
人の方々の苦労もあって今が
あると思います(現在の方々もですが)。
自分自身も後世の方に同じように
思ってもらえるような仕事をしていきたいです。
ワンチームでますますの発展を願います。
創立時から目の付けどころがすごく、
まわりがやってこなかったことを実践し
成功してきたのはとてもすごいことですし、尊敬します。
本当におめでとうございます

会社の創業時に困難なことにも立ち向かい働いてくれた先人たちに感謝を伝えたいです。
半世紀にわたり会社の発展に努めていただいたおかげで今の喜多村があり、幸せな人生を歩めています。

トヨタに負けない大きな会社
世界一の粉砕メーカー
いろんな年代の人が分け隔てなく
仕事ができる会社
粉と言えば喜多村と誰もが口にする会社
今のままで良いと思います。
 こんなに良い会社はない!!
社内コミュニケーションが上手な会社
不況に強い会社
活気のある
なんでも意見の
言える会社
喜びが多い会社
会社の繁栄を思うコメントが最多。より働きやすく、明るく活気のある会社にしたいなど職場環境面でのコメントも多かったよ。

TOP INTERVIEW 社長インタビューTOP INTERVIEW 

株式会社喜多村は2022(令和4)年5月に設立50周年を迎えた。50周年を迎えるにあたって、
北村眞行社長は改めてその歩みを振り返り、現在の喜多村の姿から将来を展望した。

挑戦と進化を継続し、
さらに「信頼されるカンパニー」へ

株式会社喜多村 代表取締役
北村 眞行
MASAYUKI KITAMURA

現場力を強化して迎えた50周年

 創業者である北村勝政が家畜の飼料加工に続いてフッ素樹脂スクラップの再生などの仕事を個人で始めたのは、今から五十数年前のことです。当時廃棄されていたフッ素樹脂スクラップを再生する技術を開発し、1972(昭和47)年5月株式会社喜多村を設立、事業の基礎を築きました。

 初代社長を務めた勝政は私の義父ですが、仕事熱心で、可能性があれば新しいビジネスに果敢に挑戦する熱情のある人でした。設立当時は飼料、フッ素樹脂潤滑用添加剤、受託粉砕の事業に取り組み、苦労しながらも商売を軌道に乗せてきました。

 私は1997(平成9)年に入社し、2006(平成18)年に社長に就任。経営を引き継ぎ、社内の仕組みづくりや改善への取り組みに力を注ぐ一方で、「働きやすい職場づくり」を心がけ、節目である設立50周年を迎えることができました。

 会社の半世紀の歩みを振り返ると、前半は初代が会社の基礎を築いた時代。後半は私が入社して経営陣に加わり、社内制度や改善の手法などを採り入れて現場力を強化してきた時代。この二つの時代に分けることができますが、そのどちらの過程が欠けても、今の喜多村の姿はありません。先代の事業を継続させつつ、お客様の声を製品に誠実に反映させてきた結果が現在の喜多村であると、気持ちを新たにしています。

安定した事業と粉体のプロ集団が磨いてきた強み

 喜多村には受託粉砕、フッ素樹脂潤滑用添加剤の二つの事業がありますが、いずれも事業として安定していることが大きな強みです。特に受託粉砕は取引先から依頼があると、継続した受注につながることがほとんどで、現在でも継続率は90%を超えています。また、フッ素樹脂潤滑用添加剤はスクラップにされた材料を購入し再加工して製品化するため、原価面でも抑えられる。事業が安定しているおかげで業績を予想しやすく、また将来を見据えた事業展開を構想しやすいことが喜多村の特長です。

 二つの事業には、全く派手さはありません。しかし、産業界で使われる製品の品質向上に役立てられたり、あるいは粉体の一部は消費者の暮らしに欠かせない食品や日用品に活用されていたりと、当社の技術やサービスは社会に大きく貢献しています。

 喜多村は粉体加工技術を軸に、「粉体のプロ」として専門のノウハウを磨いてきました。当社で働く社員も地道に努力を続ける人が多く、誠実に製品開発や粉砕の仕事に携わっています。生真面目にものづくりに関わること、そして常に現状の課題を見つけ問題解決の方法を模索する前向きな姿勢も、私たちが持つ企業文化の一つだと自負しています。

 会社の半世紀の歩みを振り返ると、前半は初代が会社の基礎を築いた時代。後半は私が入社して経営陣に加わり、社内制度や改善の手法などを採り入れて現場力を強化してきた時代。この二つの時代に分けることができますが、そのどちらの過程が欠けても、今の喜多村の姿はありません。先代の事業を継続させつつ、お客様の声を製品に誠実に反映させてきた結果が現在の喜多村であると、気持ちを新たにしています。

安定した事業と粉体のプロ集団が磨いてきた強み

 喜多村には受託粉砕、フッ素樹脂潤滑用添加剤の二つの事業がありますが、いずれも事業として安定していることが大きな強みです。特に受託粉砕は取引先から依頼があると、継続した受注につながることがほとんどで、現在でも継続率は90%を超えています。また、フッ素樹脂潤滑用添加剤はスクラップにされた材料を購入し再加工して製品化するため、原価面でも抑えられる。事業が安定しているおかげで業績を予想しやすく、また将来を見据えた事業展開を構想しやすいことが喜多村の特長です。

 二つの事業には、全く派手さはありません。しかし、産業界で使われる製品の品質向上に役立てられたり、あるいは粉体の一部は消費者の暮らしに欠かせない食品や日用品に活用されていたりと、当社の技術やサービスは社会に大きく貢献しています。

 喜多村は粉体加工技術を軸に、「粉体のプロ」として専門のノウハウを磨いてきました。当社で働く社員も地道に努力を続ける人が多く、誠実に製品開発や粉砕の仕事に携わっています。生真面目にものづくりに関わること、そして常に現状の課題を見つけ問題解決の方法を模索する前向きな姿勢も、私たちが持つ企業文化の一つだと自負しています。

現場力の強化が企業の成長と高評価に

 1990年代までの喜多村は有効な仕組みがなく、旧態依然とした体質の会社でした。業務の進め方やものづくりの手法の面でも、個人の技量に頼る部分が大きかったです。そこで、1999(平成11)年から翌年にかけて取り組んだISO認証取得を手始めに、品質管理と労働安全衛生に関わる手順を社内で統一していきました。仕事の進め方を共有し、品質向上や労働環境の改善に向けた共通認識がある程度社内に根付いた段階で、第40期から始めた5S活動を軸とした現場・職場の改善を全社で開始。その後はこれと関連して、「KY活動」「管理図による品質管理」「俺たちのKAIZEN」など、改善に関わる取り組みを積極的に進めています。

 こうした活動の狙いは「現場力」を高めることにあります。「現場力」とは「現場の自発的な問題解決能力」のことですが、その強化によってより強い企業へと成長できると考えています。改善提案によって仕事の現場には多くの改良が加えられ、働きやすい環境づくり、そして品質向上にもつながる。つまり、信頼できる会社として評価していただくことにも結び付くと確信しています。

行動指針に掲げる三要素を備えた人材に

 「想いを描ける力」「やり抜く力」「人間的な信頼」。この三つの力や要素を持った人を、喜多村が求める人材像とし、行動指針に掲げています。

 「想いを描ける力」とは、自分が与えられた仕事を単にこなすだけでなく、その仕事の意味、完成した製品の役割などを理解した上で業務や物事に携わることが大切ということ。広い視野から自分の夢や目標を描いて、それに向かって努力を続ける人に期待したいのです。

 「やり抜く力」とは、小さな目標でも途中で投げ出さず、最後までやり切ること。一人でできないことは、チームで協力してやり抜いてみる。仮に失敗しても何か収穫を得られ、その経験を次に生かせればいい。

 「人間的な信頼」とは、日頃から誠実に仕事や課題に取り組み、努力を重ねる姿勢を大切にすること。一貫性のある姿勢や頑張りは、周囲の人から信頼できる人だと評価されます。仕事は人と人との信頼関係で成り立つわけですから、周囲と人間的な信頼を築ける人を目指してほしい。また、そうした人材に活躍していただきたいです。

行動指針に掲げる三要素を備えた人材に

 「想いを描ける力」「やり抜く力」「人間的な信頼」。この三つの力や要素を持った人を、喜多村が求める人材像とし、行動指針に掲げています。

 「想いを描ける力」とは、自分が与えられた仕事を単にこなすだけでなく、その仕事の意味、完成した製品の役割などを理解した上で業務や物事に携わることが大切ということ。広い視野から自分の夢や目標を描いて、それに向かって努力を続ける人に期待したいのです。

 「やり抜く力」とは、小さな目標でも途中で投げ出さず、最後までやり切ること。一人でできないことは、チームで協力してやり抜いてみる。仮に失敗しても何か収穫を得られ、その経験を次に生かせればいい。

 「人間的な信頼」とは、日頃から誠実に仕事や課題に取り組み、努力を重ねる姿勢を大切にすること。一貫性のある姿勢や頑張りは、周囲の人から信頼できる人だと評価されます。仕事は人と人との信頼関係で成り立つわけですから、周囲と人間的な信頼を築ける人を目指してほしい。また、そうした人材に活躍していただきたいです。

挑戦と進化でオンリーワン企業に

 営業面では、事業の柱である受託粉砕、フッ素樹脂潤滑用添加剤の2事業を深掘りし、さらに専門性を高め「オンリーワン」の企業を目指すことを最優先に考えています。また、「粉体加工のプロ」である喜多村のノウハウを活用して、第三の柱となる事業を開発することも構想中です。新事業の開発にはまだ時間がかかりますが、将来を見据えて既存事業を拡大させる上でも、新たな分野への挑戦は欠かせません。

 企業が成長していくには、会社組織とともに働く社員も成長を続けていく必要があります。ダーウィンの進化論のように、「自然環境の中では強い者が生き残るのではない。変化に対応し、常に進化を続ける者が生き残る」。人も会社組織も進化を続けることこそが大切です。市場環境の変化、お客様のご要望に耳をかたむけながら、常に技術と品質の革新に挑戦し、変化を恐れず成長を続けていきたいと願っています。

社史の意義、取引先への感謝に成長を誓う

 50周年記念誌を作成するにあたり、会社の歩み、現在の社員とOBを含めた皆さんの業績などを改めて記録として残し、次の世代に伝えていくことの重要性を再認識しました。設立前後からその後二十数年間の記録や資料が乏しく、沿革が不確かな時期も一部にありました。しかし、会社の歩みを社史として残すことで、創業者や先輩たちの苦労、業績の大筋を知ることができます。また、社員が社史を読むことで、自分たちが取り組んでいる仕事の意義、製品の社会的な役割を再認識する機会となればと考えています。社員の皆さんには、これからも同じ目標に向かって、気持ちを一つにして、改善と挑戦に取り組んでいってほしいと思います。

 一方、取引先のお客様には「感謝」の言葉しかありません。お客様の中には30年40年と長きにわたってお取引をいただいている企業も多く、厚く御礼申し上げます。喜多村の経営理念は「社会に大きく役立つ製品・サービスを提供し、お客様に信頼されるカンパニーを目指す」こと。その考えに基づき、今後もさらに「現場力」の強化に努め、「強い企業」へと成長するための挑戦を続けてまいりたいと考えています。

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ON PUBLICATION 発刊にあたってON PUBLICATION 

経営理念 - PHILOSOPHY -

私たちは、社会に大きく役立つ製品、サービスを提供し、
「信頼されるカンパニー」を目指す

・お客様第一主義に徹し、お客様の繁栄発展に貢献します。

・ゼロ災と無公害を実現し、良き企業市民として社会的責任を果します。

・会社の発展を通じて、すべての社員のかな人生の実現に寄与します。

行動指針 - ACTION GUIDELINES -

  1. 私たちは、私たちの想い描く力を駆使し、あるべき姿を常に考え、その姿にできるだけ近づけられるよう、たゆまぬ改善に取り組みます。
  2. 私たちは、私たちのやり抜く力を駆使し、すべてに率先して真剣に取り組み、必ず目標達成できるよう、行動します。
  3. 私たちは、私たちのコミュニケーション力を駆使し、関係するすべての人が一致団結して、大きな結果を残すことができるように行動します。
  4. 私たちは、不正義、不誠実は一切排除し、誠実な態度で相手の立場に立って考え、信頼を第一に手を尽くします。
  5. 私たちは、情熱を持って可能性に挑戦し、新たなる価値を創造し続けます。
  6. 私たちは、相手に心をもって耳をかたむけ、感謝の言葉を伝えることで、人間的信頼を築きます。

 株式会社喜多村はこのたび創立50周年を迎えることができました。この日を迎えられたことは、当社を支えてくださった取引先様や社員の皆さんのおかげであると深く感謝しております。

 1952(昭和27)年、創業者北村勝政が個人事業としての商売に端を発し、飼料の製造を中心とした事業を行いながらフッ素樹脂粉体加工技術を開発したことをきっかけに、現在の株式会社喜多村へとつながっています。

 創業当時の事業は決して綺麗とは言えないものばかりで、飼料の製造においても過酷な環境での仕事が中心でした。そんな厳しい状況の中でも、たくさんの方々に助けられ、なんとかやってきたというのが適切な表現であろうかと思います。

 1972(昭和47)年の会社設立以降も、数々の困難に見舞われましたが、これらの難局を乗り越え、今日の当社があるのは「先人たちがいて我々がいる」ほかないものと強く感じております。

喜多村 本社外観

 当社の強みをよく聞かれますが、最近では次のように思うようになりました。それは受託粉砕とフッ素樹脂潤滑用添加剤の二つの事業の素晴らしさです。これら事業は粉砕をメインプロセスとしたBtoBビジネスです。IT事業などのような華やかさは全くなく、非常に地味な商売です。しかしながら、両事業ともに50年という長きにわたり、社会に必要とされ続けてきました。また、基本的に繰り返しがある商売であり、大きな事業拡大とは決してなりませんが、非常に安定した事業です。このことは本当にありがたく、これら二つの事業ならではの強みです。

 しかしながら、これから先も安泰な事業が続くものではありません。環境の変化を捉え、確実に対応しながら、品質、コスト、納期にとどまらずすべてについて進化を図っていかなければなりません。これからも常に「必要とされる存在」であり続けていきます。これは50年前も今も、そしてこれからも変わらぬ当社の果たすべき使命です。

 この50周年記念誌は、先輩諸氏の足跡を後世に伝え、感謝の想いを巡らせるとともに、当社事業の社会的意義を再確認し、自らがやってきたことに対して自信を持って、これからのさらなる飛躍の道標とするべく編纂いたしました。設立50周年を一つの節目とし、これからの10年先、20年先を見据えたチャレンジを続けてまいりたいと思います。

 終わりに、本書の発刊に際してお寄せくださいました各位のご協力とご厚意に心から感謝申し上げ、ご挨拶とさせていただきます。

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POSTSCRIPT 編集後記POSTSCRIPT 

 創立50周年を迎えるにあたり、社長の心の中に、喜多村創業からの歴史をここで記録し残しておかなければ今後ますます分からなくなってしまうのではないか、との思いがよぎり、社史を作ろうと決断、第50期の事業発展計画発表会で全社員に発表されました。社史作成は初めてのことでしたので、進めるにあたり、社史制作を専門としている業者を選定し、完成までの道筋を指導・指示していただき、ようやく発刊に辿り着くことができました。

 喜多村の歴史を改めて掘り返してみると、創業当時は決して順風満帆だったワケでなく、苦境困難の連続・・・いろいろな出来事にぶつかり、いろいろな人と出会い、しかしその度にやはり多くの人の助けを得ながら逆境を乗り越え、現在の安定した企業へと成長できたのだと確信しました。私が入社してからの20年、業績はもちろんのこと、福利厚生面においても喜多村は良い方向へと劇的に変わっていきました。

 喜び多い会社に…と、創業者の北村勝政氏が思いを込めて付けた社名の通り、喜多村は本当に良い会社になり、多くの社員がそう口にします。この先も、困難に直面した時は全社員で助け合い、多くの喜びを感じながら仕事ができる会社になっていってほしいと願います。

 そしてこのような素晴らしい会社に出会えたことは幸運であり、この節目の年に社員として在籍していること、発刊にあたり協力できたことを嬉しく思います。

 最後になりますが、社史編纂にあたり、協力していただいた喜多村OBの皆様、創業者夫人、社長・役員をはじめ記事作成を手伝っていただいた方々、アンケートや写真収集に快く応じてくださった社員の皆様、そして発刊まで長い時間丁寧に導いてくださった株式会社アイワットの担当者様、関係者各位に心より感謝し、厚くお礼を申し上げます。

 本当にありがとうございました。

喜多村創立50周年記念誌編纂委員会
総務部 青木

喜多村50周年記念誌

2022年5月発行

[ 発 行 ]株式会社喜多村
 〒470-0162 愛知県愛知郡東郷町大字春木字白土1-242
TEL 052-803-5151
[ 編 集 ]喜多村創立50周年記念誌編纂委員会
[ 制作・印刷 ]株式会社アイワット
※本サイトは株式会社アイワット様によって制作・印刷いただいた「喜多村50周年記念誌」をもとに、Web公開用に当社で再編集・デザインしたものです。

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